Murmur...

アラサーといいたくないけど徐々に30の扉が見えてきている女子が好きな音楽を中心にまとまった言葉を語りたいときに語る場所。

またきっと晴れるよ

自分のことばをまとまった状態で発散する場所が欲しいなと思っていた。

いろんなフリーブログを渡り歩き、でもいまいちしっくり来ず。

はてなに辿り着いた。

落ち着けますように。

 

 落ち着いて腰を据えて、さて何を書き始めようか、と思ったところで

こんなニュースが飛び込んできた。

 

黒沼英之『みなさまへ』

http://kuronumahideyuki.com

 

 2014年2月にアルバム『YELLOW OCHER』をリリースして

しばらく音沙汰がなかった彼。

 

 …なんてツイートを夏ごろに見かけて、「あ、元気にしてるんだ」

って思ったんだけどなぁ。

 

 わたしが黒沼英之を知ったきっかけは、仕事中に聴いたラジオ。

当時、「慌ただしい」のことばの通りばたばたとめまぐるしい日々を

送っていたわたしの耳に飛び込んできた彼の声。

ひさしぶりにびびっと(…って言い方古いか…)きた。

曲終わりで「くろぬまひでゆき」という単語がきこえて、

その場ですぐに目の前に広げてたMacにその単語を入れた。

そこには彼の公式ホームページが表示され、Profileっていうページが

あるもんだから、迷わず開いてみた。

飛び込んできた文字に、わたしはことばを失った。

 

1989年1月18日生まれ
立教大学映像身体学科卒業 

 

…あれ、もしかしたら同級生だ。

(実際にそうでした)

 

このわたしの卒業した大学というのは、

字面から既にお察しの方もいるかもしれませんが、まあ変な学科で。

端的にいえば、「映像」と「身体表現」が専攻できる学科。

わたしの時代でいうと、「広告」の分野では

セブンイレブンいい気分」のコピーを生み出した杉山恒太郎氏がいたり、

「写真」の分野では鈴木理策氏がいたり、

あ、あと肝心な「映画」では万田邦敏氏(豊川悦司が出ていた『接吻』の

監督)がいたり、篠崎誠氏(『東京島』の監督ですね)がいたり、

 書けば書くほど長くなってしまうのでこの辺りで止めておくけども、

広い意味での映像の分野では、名だたる人々が名を連ねていた。

身体表現分野にも、コンテンポラリーダンスで2009年に紫綬褒章

もらった勅使川原三郎氏がいた。

今となって振り返ってみると、とてもとても恵まれた環境で

芸術のシャワーを浴びながら生きていたようなのだが、

学生時代のわたしは、まあ授業に出てもうとうとしがちで

寝る間を惜しんでサークル活動に明け暮れていた。

とてももったいない。

いや、レポートとか課題とかやることはやっていたけれども。

 

そんな変な学科にいたわたしだが、わたし自身は一応?

普通に就職をした。

(まあ、『一般的』な企業ではなかったけれども)

 周りには就職しなかったひとも「そこそこ」いた。

リーマンショック明けということもあったので、

不景気で仕事が見つからなかった、という人もいなくはなかった。

けれども、「自ら選んで」仕事を見つけなかった

(この場合でいうと給与を「もらう」という立場での仕事だ)

という人も多々いた。

大学のキャリアセンターとやらからは、「この学科の就職率は

大学のなかでも最低です!」といったようなことを言われたような

記憶もある。

「職に就く」という意味では確かに最低だったかもしれない。

だけども、「天職を成就」させることにみんな揺るぎない意志を

持っていたような気はした。

実際、卒業して4年目にして歌ったり踊ったり書いたり描いたり

作ったりしている人間はまだたくさんいるし、少しずつ自分の道を

切り開いている人間もたくさんいる。

 

彼も、わたしからみたらそんなひとりだった。

むしろ、一番乗りな勢いでメジャーのシーンに出てきた、

そんな人だった。

 

世界は狭いもので、というか大学も狭いコミュニティなので

記憶の奥深くを辿れば、彼がいた記憶はうっすらながらある。

けれども、わたしは友人でもないし、知り合いですらない。

とはいえ、新座という僻地に4年隔離され、あの環境で学び、

よくも悪くも芸術という名のシャワーを浴び続けてきた、という

「同じ環境にいた」ことだけで、勝手な親近感とそして少しばかりの

羨ましさを感じるわたしはなんとも単純で。

本当に申し訳ないぐらい勝手ながら、すごいなー!と驚いていたし

負けてられないと闘志も沸いてきたし、純粋に素敵だなと思っていた。

 

 だから、ちょっぴり寂しいな。

「ありがとうございました。」という最後の一文が余計に寂しさを増させる。

あんなに上手に、きれいにことばを紡ぐひとだから、

このことばはこういう意図じゃないと使わないんじゃないか、なんて

勝手に思ってしまう。

杞憂でありますように、と思いながらも。

 

晴れたらもう君はいないけど

僕のシャツもやがて乾くだろう

悲しむことなどないのです

またきっと会えるよ

雨宿り

*1

 

彼が「おしらせ」を発表したそのとき、東京は雨が降っていた。

まるでおしらせのタイミングを見計らったかのように。

もしかしたら、空の上でも泣いているひとがいたのかもしれない。

 

でも彼がこう歌っているから。

悲しむことなどない。

またきっと会える。

そう信じて、わたしの中で2014年かなりの名盤に入る

『YELLOW OCHER』を聴き続けようとおもう。

音とことばによって刻まれた、黒沼英之の生きた証だから。

 

さいごにせっかくだから、いくつか映像つけておこっと。


黒沼英之 - ふたり 【MUSIC VIDEO Short】 - YouTube

 はじめてラジオから聴いた彼の声はこの曲でした。

 


黒沼英之 - 夜、月。 【MUSIC VIDEO Short】 - YouTube

  一番好きかもしれない。初めて書いた曲…らしい。

 

 

*****

なんて冒頭から真剣に書き綴ってしまった。

こんなことを書くこともありながらも、くだらないことも

書くかもしれない。

twitterと違って、全体の輪郭を捉えてから書く、ということを

してみたかった。だから、つくってみた。

いつまで続くかはわからないけど。

なんとなく考えていることもあるので、とりあえずはこんな感じで

続けてみようか、と思っていたり…。

 

 

YELLOW OCHER

YELLOW OCHER

 

 

 

*1:雨宿り/黒沼英之