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Murmur...

アラサーといいたくないけど徐々に30の扉が見えてきている女子が好きな音楽を中心にまとまった言葉を語りたいときに語る場所。

いきものがかり”放牧宣言”を受けて、私が感じたこと

いきものがかり つぶやき 音楽

2017年早々、仕事中にニュースサイトからLINEの通知がきた。

いきものがかり 活動休止へ」

衝撃を受け、私は思わずそのニュース記事を開いた。記事のなかには、いきものがかりが活動休止宣言をしたとの旨が綴られていた。昨年夏の厚木で行われた野外ワンマンライブで、10周年の集大成のステージを観た私としては、その報がにわかには信じられず、オフィシャルサイトを開こうとするも、アクセス過多のせいか開くことができず、悶々としたまま私は仕事を続けた。

 

仕事が終わるころにはオフィシャルサイトも見ることができるようになっていて、やっと全容を把握することができた。彼ら自身、そしてスタッフから発せられた言葉をみると、私が最初にニュースから受けた印象とはだいぶ状況が違うようだった。

 

いきものがかり放牧宣言

 

そもそも、彼らは「活動休止」という言葉を一言も発してはいない。スタッフからの報のなかでも、この言葉は一度も使われていないのだ。『それぞれの未来を、もっと広げるために。3人の物語を、もっと長く、もっと楽しく、続けるために』彼らは“放牧期間”を設けると語っている。たしかにいきものがかりとして3人で表舞台に立つことはないのかもしれないが、3人それぞれがいきものがかりとして続けることを前提としている。それは『またみなさん笑顔で会いましょう!それでは行ってきます。放牧!』という言葉で締めくくられていることから、読み取れるのではないだろうか。

 

夜のニュース、次の日の朝のワイドショー。「活動休止」という言葉が一人歩きし、「残念です」と街頭インタビューに答える人が映し出される姿にただひたすら違和感を覚えた。この違和感は何だろう、と思いを巡らせると、ほぼ6年前、2010年にも彼らの「活動休止」報道が報じられたことを思い出した。この時の報道は誤報で、メンバーの水野良樹が即座にtwitterにて報道を否定する旨のツイートをしていた。

 

このときは表舞台にこそ出ていなかったものの、楽曲制作を行っていたことは明確であり、実際に翌年2011年の4月から『NEW WORLD MUSIC』がフジテレビ系『めざましテレビ』のテーマソングとして流れ始めたり、夏には横浜スタジアムでの野外ライブを行ったりと、報道があった時期にもきちんと活動をしている痕跡はあった。

 

そのときから、ずっと「活動休止」とは何なのか?という問いが自分の心のなかにある。「活動」を「休止」すること、つまり「活動」を「一時休むこと」を言うということは、辞書で言葉の意味を調べるとわかる。今回、あえて”放牧宣言”を行ったということは、前回報じられたときとは違い、楽曲制作などの活動を行わず、”いきものがかりとしての活動”を一時休むということなのだろう。そういう意味では確かに「活動休止」だ。しかし、スタッフからのコメントをみると、このようにある。

リフレッシュのために一旦各自のペースでメンバーそれぞれの可能性を伸ばすことを目的とした放牧期間へ入ることとなりました。(中略)これより一度、3人はそれぞれに自由な活動をして参りますが、「放牧宣言」にもある通り、彼らの帰る場所がいきものがかりであることに変わりはありません。

 

つまり、今回の”放牧期間”は10年間ひたすらにポップシーンの最前線を駆け抜けてきた3人の小休止期間ということ。今までずっと3人4脚で同じ歩幅で走ってきたところを、一旦マイペースに歩いてみようということ。いきものがかり3人で外の世界と向き合うのではなく、1人のシンガー、ミュージシャン、表現者、人間として外の世界と向き合ってみる期間ということなのではないだろうか。彼らの活動を9年近くファンとして見てきた私は、そう感じた。それが果たして残念なことなのだろうか?私が報道を見て感じた違和感はそこにあると、今やっと気付いた。

 

実際に、3人でやっていたラジオ『いきものがかりのgarden★party』は名前を変えず、水野良樹がメインパーソナリティーを務めながらも、吉岡聖恵山下穂尊も不定期で出演すると番組のなかで言っている。水野が毎週木曜日レギュラーで出演しているJ-WAVESONAR MUSIC』も、”いきものがかり水野良樹”として出演している。FMヨコハマの山下のレギュラー番組も『いきものがかり 山下穂尊の上手投げ!!ラジオ』として継続されるという。二人とも、このラジオのなかで”放牧期間”について、「プラスの意味合い」であることを言及していた。

 

本人たちがここまでして言っても、メディアはあらゆるゴシップを生み出し、マイナスな「活動休止」として報じる。ギャラ問題、メンバーの不仲、メンバーのプライベートについて……あることないことを吹聴してまわっている。実際にどれが本当のことで、どれが虚構なのかは本人たちのみぞ知るところで、ファンの私がどうこう言えることではないが、一次情報(公式発言)で『リフレッシュのために』と言っていることに、マイナスな要素を付け加え、二次情報として発する意味は何なのだろうか。それが「報道」なのか?「報道の自由」という言葉があるが、報道される側の自由はないのか。そんなことを、今回の出来事を通して改めて感じた。そして、「活動休止」=マイナスな意味合いをもつ言葉である、ということもだ。

 

いきものがかりは、そんなことも承知のうえだったのかもしれない。だから一度も「活動休止」という言葉を使わず、何なら「休む」という言葉すら”放牧宣言”のなかには出さなかったのではないだろうか。だって、彼らは休まないから。歩みを止めることはないし、その歩みを続けた先には、またいきものがかりとしての道が待っているから。いきものがかりの道に戻ってきたときに、自分以外のメンバー2人に「自分はこんなものをもってきたぞ!」と、自分だけの宝を見せびらかしたくて、人によっては新しい技を身につけてくるのかもしれないし、人によっては今自分がもっている武器をさらに磨き上げてくるのかもしれない。そんな風に3人がそれぞれ他のメンバーがもっていない宝を身につけたら、そしてその宝を相手の宝を掛け合わせたら、きっと今までにないいきものがかりが見られる気がしている。そんな風に考えたら、私は今回の”放牧宣言”、わくわくしてしまうのだ。そして、いきものがかりの活動を続けるためにそれぞれがインプット期間を設ける意図なのだとしたら、それって「活動休止」って言うんだっけ?とも、思ってしまう。だって、「いきものがかりとしての活動」をしていることに、変わりはないんだもの。

 

だから、私は今回の報道に対して、憂いの気持ちは捨てようと思う。彼らがいきものがかりとして長く在るために、ミュージシャンとして、アーティストとして生き続けるための今回の決断。移り変わりの早いポップシーンのなかで、この決断をすることはとても勇気がいることだと思う。それでも彼らがこの決断をした意味は、この歌のなかに隠れていると、私は思う。

 

ほら Baby Baby Baby 僕らの夢はもう

僕らだけのものじゃないんだよ いつも

愛されて その愛を またつないで

すべてがいま 奇跡みたいだ

―ぼくらのゆめ/いきものがかり

 

今、目の前に広がっている奇跡みたいなことを、愛され受け取ったその愛を、またつないでいけるように。そのために彼らは”放牧”という道を選んだのかもしれない。きっと、時が経てばこの日がやってくる。

 

なんども「もう一度」って 顔をあげて

また一緒に歩こう

 

また僕らで歌おう

―ぼくらのゆめ/いきものがかり

 

ここに書かれている通り、何度目かの「もう一度」を、また一緒に歩み歌う日を、私は待っている。半年後でも、一年後でも、数年後でも、いつだっていい。いつまでだって待つことができるはず。だって私は、いきものがかりが好きだから。