Murmur...

アラサーといいたくないけど徐々に30の扉が見えてきている女子が好きな音楽を中心にまとまった言葉を語りたいときに語る場所。

ゆずの重大発表を見て感じたこと

最初に断っておきます。

わたしはゆずのファンではありません。

ただ、ひとりの音楽を好きな人間として、あるミュージシャンを追いかけるようにファンをしている身として、他人事とは思えなかったから。自分事のように考えていたら、いろいろ苦しくなってきてしまったから、つらつらと今回の件に関して思ったことを書いてみようと思います。

気分を害する方がいたら、ごめんなさい。

わたしは、「ゆずの音楽」は大好きです。だって、高校時代を岡村で過ごした人間にとっては、「この長い長い下り坂」を何度も下った身としては、青春が詰まっているから。

これだけは大前提として、先に述べておきます。

 

事の発端は、12/17のこの告知から始まったと記憶しています。

http://yuzu-official.com/contents/214294

 

「ゆずからのお知らせ」

いつからでしょうね、タレントやミュージシャンが発表する「○○からのお知らせ」「○○からの重大なお知らせ」という言葉に怯えるようになったのは。

そして、この文言が来るときに、大体は「良いお知らせ」ではないということを察知してしまうようになったのは、どうしてなのでしょう。

そんな疑問を抱いたりするけれど、もう20年以上日本の音楽業界の第一線にいて、ほぼ休まず活動を続けてきた「ゆず」というアーティストがこういう文言を出してくると、身構えてしまうのが受け止める側の性なのだと思います。

 

わたしの周りにも、ゆずっこは何人かいます。

みんな、このお知らせに心がざわついて、落ち着きのない様子でした。

発表まで2日。

良いお知らせのトーンで発表されていたら「なんだろう、楽しみだな〜!」となるところを、なんだか胸騒ぎがしてしまうことばが綴られていたから。このドキドキはなんなんだろうって思ってしまった人もいたんじゃないかなって、なんとか自分を落ち着かせようと、考えないようにしようと思っていた人だっていたんじゃないかなって、思いました。

 

そして2日経ち、12/19 21:00の発表。

結果は、「弾き語りドームツアーの発表」でした。

http://yuzu-official.com/contents/214604

 

なんだ、良いお知らせなんじゃん。

じゃあ「告知がありまーす!」でいいんじゃないの?

情報解禁日の兼ね合いとかもあるんだろうけど、なんで2日前にフライングでああいう文言だけ出したの?

(好きだけど、ライブに行ったり情報を積極的に追いかけるほどではないという意味で)ファンじゃないわたしは、そう思ってしまいました。

 

Abema TVでの配信の中で「どっちかが死ぬまでゆず」みたいな発言をして、「ゆずを一生続けるよ」と言ったような趣旨のことを述べていたのは確認しました。

その決心があるなら、一生ついていく心づもりでいるファンの心をかき乱すようなことはしないほうがいいんじゃないの?

って、わたしはそう思っちゃいました。

 

いろんな事情があるんだと思います。

大きなトピックスを用意するから、話題にしなきゃいけない、とか、反響がほしい、とか、ニュースにしてもらうためにひっかかるネタを仕込まなきゃ、とか。

どちらかというと、このあたりのことはゆずの二人が考えることというよりは、彼らの周りにいる人たちが考えることなのだと思います。

彼らが作品づくり以外の側面(宣伝の仕方など)にどこまで関与しているのかは、わたしにはわかりません。

わからないけれど、彼らがちゃんとファンを大切にしたいと思っていたとしたら、いくらえらい人がこういうネタの仕込み方を提案したとしても、反発してほしかったな、と思いました。

(実際はしたのかもしれません。したけど、だめだったのかもしれない。その真相はファンじゃないのでわからないし、ファンでも今のところはわからないかもしれないな、と思っています)

 

わたしは、「自分の推しで同じことをやられたら?」って、想像してみました。

 

うーん…結構しんどい。

「お知らせ」の見出しを開いて、そこに情報が載っていれば「なーんだ、びっくりさせないでよ」って思えるかもしれないけれど、言葉に振り回され、惑わされたことよりも2日間ずっとそのお知らせに支配されてしまう、考えようと思わなくても気がついたら考えてしまう、その落ち着かなさがメンタルやられる気がしてしまう。

最悪の事態を想像して、ごはんが喉を通らなくなってしまうかもしれない。

せっかくの忘年会シーズン、友達や会社の人から楽しい誘いがあっても、なんだか乗り気がしなくって断ってしまっていたかもしれない。

たった2日って思うかもしれない。

でもおおよそ48時間です。この時間が悩み事に支配されなければできたこと、きっとあったんじゃないかな、って思います。

そんなゆずっこさん、少なからずいるんじゃないでしょうか。

 

「なんだ、良い知らせなんじゃん!悪い冗談言わないでよ!笑」

とすぐに笑って言える人は、そのまま笑顔で彼らを応援し続けてください。

でも、やっぱりわたしは今回の件で少なからず虚無感を感じた人、心が傷ついた人、涙を流した人はいるんじゃないかなって思ってしまう派です。

こんな吊り橋を渡るみたいなやり方で、ファンの心を試さないでほしい。

ユーモアに富んだふざけた歌もあるけれど、純粋なまっすぐな少年のような心をもった曲を、いつまでも歌えるのがゆずなんじゃないかなって、ただのリスナーなりにわたしは感じています。

そんな曲を届けるゆずが、ゆずの周りを取り巻く人が、ゆずの作品や興行を広めるためのキャンペーンが、少なからず誰かの心をざわつかせるようなやり方を今回してきてしまったということ、わたしは悲しいなって思ってしまいました。

 

誰かを喜ばせるためには、誰かを傷つける必要なんてないと思います。

誰かの心に響くものを作って届けるには、誰かの心に爪を立てる必要はないと思います。

「純粋にいいものを作って届ける」

それだけで売れる時代ではもうとっくになくなっているってこと、90年代の幼少期からJ-POPを聴いて育ってたらわかります。

でも、一度マイナスな印象や情報を与えてしまったら、そこから這い上がるのは難しいんです。

いくら彼らのことを好きなファンだって、むしろ好きで愛が大きいからこそ、傷つけられたことを「痛み」として感じた人もいるでしょうし、この感情がちょっとねじ曲がると「裏切られた」って思ってしまう人も、今はいないかもしれないけど、時を経たら出てきたりしてしまうんじゃないかなって、心配事ばっかりしてしまうわたしは考えてしまったりもします。

 

わたしが好きな広告業界のクリエイターの方にさとなおさんという方がいます。

大学時代に存在を知ったこの方。

ここ数年、さとなおさんは「ファンベース」という概念を提唱しています。

 

こんな記事があったりするので、わたしがどう語るよりもご本人のしゃべりを見ていただいたほうがはやいかなと↓

http://asa-shibu.tokyo/2018/02/13/naoyuki-sato/

https://markezine.jp/article/detail/27985

https://ferret-plus.com/9163

 

さとなおさんに怒られてしまうかもしれないぐらい端的にいうと、

「いまの時代、中長期的に売り上げ(支持)を上げていくには、ファンを大切にする施策(ファンベース)が重要だ」

ということ。

広告の世界での話に限らず、企業のブランディングにも重要な要素ですし、わたし個人としてはアーティストが長く息衝くためにも必要なことだと思っています。

 

そういえば、R25に掲載されていたゴールデンボンバーの鬼龍院さんのインタビューはそれの鑑だと思って読んでいました。これ↓

https://r25.jp/article/591215631564227181

 

何事においても、「中長期的にどうするか」という視点を持って仕事をする人は、この考え方を持っていた方が結果的に強いのではないかなと思っています。

 

いまの世の中は、景気が良いって言われていても市民の実感値と乖離があるのではないでしょうか。

娯楽にお金を使う人は、確実に減っています。

そこで、娯楽に使わない人に「使おうよ!」ってダイレクトに訴えかけたって「うるさいなぁ」ってなってしまって終わってしまうんです。

というか、広告の世界でいうと「使おうよ!」っていうメッセージを発するコンタクトポイントにすら、こういう人たちは接しないと思います。

だって、テレビ見ないでしょ?YouTubeの広告飛ばすでしょ?(=「使おうよ!」っていう広告は見ませんよね)

そういうこと。これが現実。

だったらどうするのがいいかって、「いま振り向いてくれてる人を大切にする」、そしてあわよくば「振り向いてくれてる人が他のお客さんに『これいいよ!』って発信してくれて、新しいお客さんを連れてきてもらう」。

これが一番。

さとなおさんはそういうことをおっしゃっているのだと、わたしは「ファンベース」の本を読んで感じました。

 

この施策をやるのは結構な粘り強さと忍耐力が必要だと思います。

だから、あんまりビジネスとして結果が評価されづらいのかもしれないし、だからこそ、めんどくさがって積極的に取り組まない人も多いと思います。(あとは、長い目で見る余裕がないってこともありえるとは思う)

 

だいぶ話が逸れたように見えて、ここで話を主題に戻しますが、「どっちかが死ぬまでゆず」宣言をした彼らは、長い目で見なくてはいけない「商品」だと思います。(いくらレーベルや事務所の売り物だからと言って「人」のことを「商品」というのはあまり好きではない、でもあえて今回は「商品」と言います)

 

イメージを醸成して、ファンと信頼関係を築いて、ファンからもらった栄養(言い方悪いかもしれないけどお金、そして声援)をもとに大きな実をつけ、花を咲かせ、そしてその花を持ってファンの人がさらに他の人に届ける、本人たちも凛と咲き誇ることで新たな人の目に留まるように努力する。

こういうプラスの循環を回していくことが、個人的には一番良い方法なんじゃないかなぁって思います。

 

業界の中にいるわけではないので、「そんなに世の中甘くないんだよ!」と言われたらその通りだとは思います。

でも、どんなにマーケティングをかじっただけだったとしても、机上の空論だと言われたとしても、これだけは言える。

「支持してくれていた人の気持ちにマイナスな印象を与えるようなコンテンツ(ニュース)を提供することに、今後与えるメリットってありますか?わたしは、ないと思います」

メリットあったら、逆に教えてください。わたしにない考え方なので吸収して今後の糧にしようと思います。

 

好きな人を、好きな音楽を、思いがけぬノイズに惑わされず、純粋に応援できたらいいのにな。

純粋に音楽を楽しめたらいいのにな。

わたしはただただそう思います。

ファンでもないのに「わかった感」ある感じで書いてるなと思われた方がいたら、長々と失礼しました。

(むしろそういう人はここまで読まないか。笑)

 

今回の件をただ糾弾したかったわけではないのでさいごにひとことだけ。

 

弾き語りドームツアーの開催、おめでとうございます。

伊勢佐木町の街中で歌っていた人たちが、いまや何万人ものお客さんを前に歌っているということ、純粋にすごいなと思います。

これからも、二人で仲良く、素晴らしい音楽を奏でていってください。

音楽が好きな1リスナーとして、これからも楽しみにしてます。なので、楽しませてくださいね。

 

以上、深夜に1時間で約5000字を書き殴りました。

乱文失礼いたしました。

スキマスイッチの音楽文を書きました。

やっぱりひさびさになってしまうのはなぜだろう。

インプットとアウトプットのバランスと両方の時間の確保をすることは、なかなかむずかしいですね。

 

ひさしぶりに音楽文を書きました。

http://ongakubun.com/archives/7182

 

スキマスイッチの15周年記念ライブ"Reversible"に行ったので、その感想を。

 

なんだか、時空を一気にこえていくような、そんな気分になる約3時間でした。

やっぱりこの人たちの音楽は、なんだかんだこれからのわたしの人生のそばにいてくれるような気がします。

わたし自身も、ふたりの音楽と歩めるように生きていかなくっちゃ。

そんなことを、この2日間で思いました。

ふたりに伝えたい「ありがとう」はたくさんたくさんあるのだけれど、受け取ったものが大きすぎてどうしたら良いのやら…と途方にくれた挙句、睡眠時間を削って筆をとっていました。

(正確にはキーボードを叩いていた。モニターの前が僕のステージでしたね。←わかる人にはわかるネタ)

 

そんな感じで、趣味の文章はやっぱりたまに書いていきたい、そう思いながらももうすぐ2018年が終わってしまうのです。

ちょっと新しいことをやりたいと思って水面下で進めてはいるのだけれど、残りの1ヶ月半と来年で形にしたいなーなんて思いつつ、進展がありましたらまた報告できればと思っています。

 

ではでは、また。

ヲタ活をIT化したい~非エンジニアだけどGoogle Apps Scriptを使ってみた~サイト巡回の効率化

このブログを見ていただいている方はわたしと面識がある方か、

なくても内容を見ていればわたしが俗にいう”ヲタ”なことは

ご理解いただけるかと思います。

 

”ヲタ”と言ってもいろいろなタイプがあって、

一人の推しを深く深く追いかけるタイプの人もいれば、

浅く広くなタイプもいると思うのだけど、

いろいろな度合いのヲタがいるなかでわたしは

沼が広く深く広がっていっている、ある意味一番タチの悪いタイプです。笑

なので、情報収集も割と前のめりにしないとほしい情報を逃してしまったりもして、

今でこそ音楽系情報メディアが増えていたり、

アーティスト公式のSNSがこまめに情報発信をしてくれたりもするけど、

そもそも公式がそんなにマメでなかったりもするし、

人によっては「あえて」告知を遅らせたりしなかったりしているのかな?

と思うライブもあったりもして、

とにかく自分で情報を取りにいかないことには得られない情報もたくさんあるんですよね…。

 

情報サイト系はプッシュ型で通知をくれたり

(マイナタリーはとても便利。推しをお気に入り登録して愛用しまくっている。

なお、登録アーティストが増えすぎると告知解禁の多いお昼や24:00の通知がカオスになる)

SNSで即時発信をしてくれたりしているので、拾いやすいのだけど、

わたしが不便に感じていたのは「公式サイトの更新情報」を追いかけること

だって、サイトに行ってみないとわからないんだもの。

なんなら、サイトによってはファーストビューで

更新情報が出てこないのでスクロールしないと、

何の情報が更新されたのかわからないんだもの。

毎日毎日公式サイト巡回してもいいけど、

推しが多すぎて地味に時間かかるんだもの。(これは自業自得)

この部分の効率化がなんとかできないかなと思い、

テクノロジーの力でならなんとかなるんじゃ?と思い、

いろいろと情報を探していたらGoogle Apps Scriptという存在と出会いました。

JavaScriptがわからないとどうやら使いこなせないようだけど、

Googleのアカウントさえ持っていればタダで使えるみたいだし(ここ大事)、

スプレッドシートを使ってGmailにリアルタイムで通知を送ってもらうこともできるみたいだし、

もしかしてこれ、毎日巡回しなくてもよくなるやつでは…?

何それ画期的。ヲタ活めっちゃ効率化できるじゃん。

…というわけで導入をしてみたところ、これがとても便利だったので、

推しが多すぎるヲタのみなさんにもぜひ使ってみてほしい!

という一方的な思いで紹介している今です。

日々の巡回地味に時間かかるからね。

この浮いた時間でエゴサならぬ推しサしたり、

推しの出ているテレビ番組見たり、ライブ映像見返したり

他のヲタ活しましょう。(?)

 

ちなみにわたしはWebに近しい系の仕事はしているけど非エンジニアなので、

JavaScriptはちょっとしか読めません。

それでもこれを実装できて運用できているので、

Googleスプレッドシートに触れれば導入は割と簡単にできます。

スプレッドシート自体は触ったことがなくても、Excelと同じようなものなので、

下記のフローに従ったらちゃんと動くものになると思います。

 

今回のシステム(というには大げさかな。仕組みですかね)を導入するにあたり、

下記の記事を参考にさせていただきました。

(むしろ、ソースはここからまるっといただきました。ありがとうございます)

 

会員にならないと全文は読めないんだけど、登録は無料だし

日経IDがある人はそれでログインできるので、ここを参照して導入してみてください。

(やり方もここに書いてあるので、1から説明すると

ほぼ転載になってしまうのでやめます!)

 

ちなみにわたしはこの3つのサイトを登録しています。

アメブロも登録したら通知くるようにいけるかなと思ったんだけど、

自動挿入されている広告が毎時変わるので毎時で通知がきてしまい、

そこはおとなしくアメーバさんの通知に頼ることにしました。)

f:id:mary_sue:20180429094403j:image

 

こうやって登録しておくと、更新されたときにこんな風に通知がきます。

ちなみにわたしは、毎時巡回してもらうようにしているので、

更新があったら1時間以内にGmailに通知がとんできます。

 

f:id:mary_sue:20180429094450j:image

 

公式SNSの中の人がマメだと、この通知がくるよりも前にSNSからの通知がきたりするけど、

推しに公式SNSがない!とか、

推しの中の人が全然マメに情報発信をしてくれない!

とか言う場合には、役立つと思います。

そもそも情報を更新してくれない場合は拾えないけど。苦笑

 

ちなみに巡回するサイトを増やしたうえで、

毎時巡回の設定にするともれなくクラッシュしてエラーの通知がきます。

どれぐらい入れたらエラーメールがくるかは、

そのサイトがもっているページ数にもよるので明確には示せませんが、

エラーがきたらシートを分けるとか、

巡回してもらうサイトの数を絞るなどして

試行錯誤してみてください。

あと、更新の通知がきたのに新着情報のところに何も更新されていない!というときは、

過去の情報が消されたとか、

フライング解禁しちゃった情報を即座に消したとか、

そういうやつです。

あくまで「サイトのコンテンツが更新されたか(ハッシュ値が変わったか)」を指針に

通知を送ってくれるシステムなので、

そこは理解しつつ、うまく活用しましょう。

 

わたしのような特異なタイプのヲタの方がどれだけいるかはわからないけど、

お役にたてますように。
最近ヲタ活のIT化に励んでいるので、

また活用できそうな術が見つかったら

ここでシェアしていこうと思います。

(とりあえず次回はわたしがやっているGoogleカレンダーでヲタ活を管理する方法」を予定しています。笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンマ2秒の未来へ現在を切り開いていけ!

―LINE/スキマスイッチ

 

「お金で買えるものと 買えないもののはなし」をしようと思ったら、

この歌詞が浮かんできた。

 

* * *

 

「苦労は買ってでもしろ」

とか、社会人なりたての頃にはよく言われた。

自分の時間や身を削ってまで苦労はしたくないな、とわたしは思った。

上の世代の人が言うそれを、「はいそうですね」と

素直に受け取れないわたしは、ひねくれてるのだなとも思ったし、

こういうところが「ゆとり世代」と言われる所以なのかなと思ったりもした。

 

わたしの社会人人生のスタートは、CMの制作会社からだった。

まだ今ほどうるさく労働時間のことを言われる前だったから、

残業時間の上限なんてなかったし、わたしがやることがなくなってしまっても、

それはわたしの力量不足でできる仕事がないのが悪いので、

先輩のそばについてただ仕事を見るだけのために

何度も終電を逃したりもした。

むしろ勉強してるのに金をもらえるなんていいご身分だな、

なんて言われたりもした。

たしかに、今までは学校に通って勉強をするのには

こちらからお金を払っていたのだから、そう言われてみればそうだな、

ありがたいことなんだな、と思ってしまうぐらいには、

この世界に染められてしまっていた。

リーマンショック、311……

どうしてここまで生まれた年で仕事を探すことの難易度が変わってしまうのだろうと、

どこを恨んでもいいのかわからぬまま就職活動をしていて、

不景気なのに娯楽に近しい商売なんてアテがないよと言われ続けていたけれど、

わたしはそれでもやりたいことを曲げたくなくて、

やっとの思いで見つけた「ものを作ること」に関われる仕事だ。

ちょっとやそっとのことじゃ投げ出したりしたくない。そう思っていた。

だから、どんなに長い時間働かされようとも、

女だからってどんなに馬鹿にされたような発言をされようとも、

ヘラヘラと笑うことでごまかして生きていたし、

大した一芸にも秀でていないわたしは、そうすることでしか

そこで生きていく術を見つけられなかった。

 

「この世界は10年でやっと一人前だからね」

こんな言葉も、この世界ではよく言われていた。

この言葉を聞いたときは、わたしはまだ22歳だったと思う。

「32歳で一人前か」って、

まだ時間に対する概念がそこまでしっかりとしていなかったから

長いのか短いのかもよくわからなくて、

頑張るしかないんだなあと受け止めていた。

でも2年、3年と続けてきてわかった。

10年という年月がとてつもなく長いということに。

わたしはこの4月でやっと社会人歴8年目になったところだ。

紆余曲折、2度の転職を経て、今の会社ではすっかり

中堅社員的なポジションで仕事をしているけれど、

もし最初の会社にそのままいたら、あの時言われた言葉から考えると

まだ一人前にすらなれちゃいないんだと思う。

 

そもそも、一人前って何なのだろう?

自分で仕事を取ってこれること?

人に指示されなくても、自分の判断で動けるようになること?

知らないことがなくなること?

そのどれもができる人、できている人はどこにどれぐらいいるのだろうか。

仕事にもよるかもしれないけれど、良い歳した社会人でも

できていない人だっているんじゃないだろうか。

それは時間が経てば、単純に年月を重ねたらできるようになるものなのだろうか。

わたしは、そうではないと思う。

積み重ねた「時間」よりも、その時間のなかでどのような「経験」をしてきたか。

数量的には同じ時間を過ごしていたとしても、

その時間をどのような密度で過ごしてきたか。

 

最初の話に戻るが、例えば「苦労は買ってでもしろ」と言われたとしても。

その「苦労」が自分の血となり肉となり、

(ある意味では「血」ではなく「知」なのかもしれない)

今後の自分の生き方を変えてくれたり、糧となるのであれば

買ってでもしたほうがいいのかもしれないけれど、

単純に身体的苦痛・精神的苦痛を味わうだけの「苦労」であれば、

そんな苦労、どんなにお金をもらったって、しなくていいとわたしは思う。

 

最初の会社での「苦労」は、前者後者どちらの種類のものもあった。

この頃のわたしは、「国がそう言うから」って理由だけで

月4日の休みをギリギリもらえていたという状況で、

休みの日は基本的に会社に何をしているか報告なんてしなくていいはずなのに、

休みの前日には「明日は何々をしている」と先輩に言わなきゃいけなくて。

わたしはそれがものすごく苦痛だった。

唯一の休みにストレス発散にライブに行くのにハマり始めたのもこの頃で、

次の日休めることが決まった金曜日の23時過ぎから、

それが次の出勤日までに東京に帰ってこれるのであれば

どこであろうとお構いなしにライブのチケットと

交通手段を確保するようになった。

働く時間が長かったから、(時間対賃金で考えたら割には合っていなかったけれど)

そこそこのお給料はもらっていたので、お金で買える時間は

ひたすらお金で買っていた。

とにかくお金より時間がなかったので、

思い返してみると大分県まで飛行機で5万かけてでも行ったりしていて、

本当にただのバカだったと思う。

でも、それぐらいしないと自分の時間がとれなかった。

わたしに自由はなかった。

 

ライブ中に電話が鳴ってたようで電話に出られず、

終演後に電話をかけたら、全然緊急事態じゃない

ただの「いま暇?飲みに行かない?」の呼び出しだったのに、

めちゃくちゃ怒られたこともあった。(休みの日だけど)

次の日の朝、いつもよりも少し早い時間に出社しなきゃいけなくなったと

遠征先で電話がかかってきて、今地方にいるということがバレたら、

始発の飛行機で全然余裕で間に合う時間でも

出かけていること自体を怒られたことだってあった。(休みの日だけど)

休日は「休む日」ではないのか。

さすがにわたしだって、緊急事態が起きそうな時期

そんな案件が入っている時期にはライブの遠征は控えていた。

実際に緊急時に仕事場に行けなかったというやらかしは

一度たりとも起こしていない。

地方に行ったときだって常に数時間以内に東京に帰る手段は考えていたし、

電波を発してはいけない場所以外では、常に携帯電話の着信を気にしていた。

それでもダメだった。

 

最終的に辞めた理由、辞めることを決断したきっかけは

他にもたくさんあるのだけど、じわりじわりと

わたしの心を痛めつけていたのが、この頃の出来事であることは間違いない。

休みの時間に自分の好きなことをするのを許されないこと。

自分の行動に対して、社会的にいけないことをしているわけではないのに

罵倒されること。

常に自分の生活を監視されているような気がしてしまうこと。

こんな「苦労」はどんなにお金をもらったってするべきではない。

自分が自分として送れる人生は一度きりだ。

そして、その時間には限りがある。

そんなことを考えざるを得ない経験も、この仕事をしている時にしてしまったので、

わたしは一人前になることを選ばず、見る人から見たらその道から「逃げた」。

 

こうやって書いてみると、やっぱりわたしは

「ゆとり」と言われてしまう世代の人間なのかもしれない。

でも「生きること」は何よりも大事なことだし、

わたしはそこに「安らぎ」を欠かすことはできない。

わたしは欲張りだから、そのうえで「好きなもの・こと」に囲まれて過ごしたいし、

あわよくばその「好きなもの・こと」から

「お金」を得られたら最高だなと思う。

そういう環境を得るためなら、どんな努力だってするし、

場合によっては「投資」としてお金をかけたりもする。

「苦労」だって買うと思う。

 

先述の通り、人間、生きられる時間には限りがある。

その時間を増やしたくたって、お金では買えない。

そもそも、自分に残されている時間があとどれほどなのかすら、

どれだけお金をかけても知ることはできない。

「お金で買えるもの」と「買えないもの」をきちんと分別して、

自分のなかで優先順位をつけて、

生きる道は選んでいかないといけないと思う。

たまに道を踏み外しちゃったり、時間を無駄にしてしまったなと

思うこともあるけれど、

そんな自分を悔いてその場で地団駄踏んでいる暇があったら、動くしかないのだ。

隣の人を見て羨んでいる暇があったら、

自分の手で状況を変えていくしかないのだ。

わたし自身もそういうことをしてしまっていた

無駄な時間を経験しているからこそ、なおさらそう思う。

 

* * *

 

必死で漕げ

 

死ぬまで漕げ

 

と今回のタイトルに引用させてもらった歌のなかでスキマスイッチは歌っている。

「誰かの轍は足が取られて困る」とも言っている。

自分とまったく同じ人生を送っている人なんて、誰ひとりいない。

お手本にしたい人がいたとしても、

その人と自分は同じ人生を歩んでなんていないのだから、

結局自分の道は自分で切り開くしかない。

この曲は、たまにそのことを見失いそうになるときに聞くと、

頬にビンタを食らわせてくるような、目を覚ましてくれるような、そんな曲。

スキマスイッチはわたしから見るとお兄さん世代だから、

寄り添ってくれるというよりも、背中を押してくれるようなそんなポジションのふたりだ。

 

 

 

 

坂内拓さんの個展に行ってきました。

今回の個展のテーマは「東京 tokyo」。

生まれも育ちも東京という坂内さん。

「東京」というと、どうしても大都市ど真ん中な感じ、

きらびやかなイメージ、その反面ごみごみした感じ、

汚いものたくさんなイメージが先行してしまうけれど、

そんな場所ばかりでもなくて、ちゃんと住める場所、

人がのびのびと息をしている場所だってあるんです。

きっとそんなところで生まれ育って、

そして芸術を志したのだろうなと思えるような、

そんなイラストたちが展示されていました。

飾られていた名刺に書かれていた地名が、

わたしも大学時代に少し馴染みのある街だったので、

「この街で描かれた絵なのか」と合点がいった部分もあったりして。

色彩の感覚や、表現するものに現れる空気感といったものは、

やっぱり生まれてから見てきたもの、感じてきたもの、

そして吸収してきたものによって滲み出るものなのですね。

あの辺りで生まれ育ってきた友人や知人が何人かいますが、

心なしかそのみんなと似通った雰囲気を感じるところもあったりして、

少し懐かしさをも感じました。

f:id:mary_sue:20180418225704j:image

飾られていたイラストのなかで、わたしが一番気に入ったのはこの絵。

色づかいと構図と、どれもがとてもツボでした。

作品集のなかにこのイラストも盛り込まれていたので、購入。

おうちのどこかに飾ろうかなあ、と計画中です。

 

坂内さんの存在を知ったのは、「毎秒、君に恋してる」のアートワークがきっかけ。

毎秒、君に恋してる

 

なので切り絵で作品を作られている方だという認識だったのですが、

こちらは筆で描かれているようでした。

f:id:mary_sue:20180418225715j:image

イラストを描くのに使っているツールは違えど、

使われている色彩とそこに現れている透明感や空気感は変わらなくて。

表現したいものの核がしっかりとしているのだろうなぁ……と

見ていてひしひしと感じました。

メラメラと燃える炎というよりは、静かに高い熱を帯びている青い炎。

そんな炎が心のなかに、そして作品のなかに宿っているような気がしました。

 

* * *

 

「わたしらしさ」「あなたらしさ」って何?

こんなことは、サラリーマンとして名前が出ないように

物書きや編集の仕事をしていると考える機会はあまりない

(むしろ人の代弁をする場合は、出すことを考えてはいけなかったりもする)

のですが、ほぼ日の塾に参加したときにたくさんたくさん向き合いました。

……向き合ったといいつつ、顔をそむけたり逃げてばかりだったので、

結果的に見つかったのかというと、見つからぬままなのですが。

 

ひとりの人間として、「名前」を表に出して「作品」を発して、

出したものに責任をもって挑んでいる人の姿は、

たくましくもあり、かっこよくもあり、芯の強さを感じたりもします。

わたしが惹かれる人たちは、基本的にこういうことと徹底的に向き合って、

そして発信をしている人たちばかりだから、

やっぱりわたしは「ないものねだり」をしているのかもしれないし、

尊敬と、ほんの少しの(良い意味での)嫉妬を感じながらも、

「刺激」をもらっているのだろうな。

わたしは、色彩的センスもなければ、美術的センスもないし、

音楽的センスもなければ、言語的なセンスも特別際立って

あるわけではありません。

けれども、やっぱり「ものが生まれる瞬間」を見届けることが好きだから、

できるかぎりそういうところに近い場所に身を置きたいし、

限りなく一生に近い形でそういうところに携わっていきたいな、なんて、

「決意」というにはとてもとても覚悟が足りませんが、

ふわっとそんなことを思った瞬間でした。

来てよかったな。 

 

 

 

 

脳内のフィルムが縺れ出す

―毎秒、君に恋してる/松室政哉

 

このフレーズ、秀逸だと思うんですよね。

脳内にフィルムがあると形容しているところもドラマチックだなと思うし、

「縺れる(もつれる)」って言葉には

1.糸や髪の毛などがからみ合ってほどけなくなる。
2.言語・動作が思い通りにできなくなる。
3.感情や事情がこみいって収拾がつかなくなる。こじれる。紛糾する。

(引用元:Weblio辞書

という複数の意味合いがあって、この歌詞に乗っかっている「縺れる」は

どれにも当てはまっているなと思います。

「脳内のフィルム」という仮想表現ではあるけど物理的な『縺れ』と

2Aメロの「時に見せる瞳の揺らぎ どんな風に受け止めたらいいの?」

って歌っている主人公の、相手の動作を踏まえて

どう動いたらいいのかわからなくなっている『縺れ』、

そして「何気ない仕草 一つ一つが僕を狂わすんだ」っていう

主人公の感情の『縺れ』。

 

物理的・動作的・感情的な動きをひとことでどう表すかって

なったときに、『縺れる』という単語がわたしにはひねり出せないなぁ…。

人の使う言葉を見て、はっとすること、たくさんあります。

わたしには、まだまだ語彙力が足りていないなぁ、とも。

「語彙」って覚えるだけじゃだめで、応用できなきゃ

まったく意味がないんですよね。

ドラマチックな言葉を綴る機会はあまりないのだけど、

このフレーズは、覚えておきたい言葉の使い方のひとつです。

 

* * *

 

この土日で、何本かライブを観てきました。

土曜日は、スキマスイッチTOUR2018「ALGOrhythm」@仙台サンプラザ公演を、

そして日曜日は、神戸アコフェスに行ってきました。
わたしはどこに住んでいるのでしょうか?そういうツッコミはなしでお願いします。笑

ちょっとこの土日に思ったこと・感じたことを書いてみようかなと思います。

曲名や構成のネタバレはしません!

と言いながらも、わたしの思ったこと・感じたことを書いていると

勘の良い人は察してしまうかもしれないので、

「わたしはシックスセンスを持っているわ」とか

「人の心を読むのがうまいの」という人は

ここでブラウザバックしていただけますと幸いです。

 

* * *


◆「ALGOrhythm」のなかでオープニングアクトをやってた人のはなし@仙台

こんなに回りくどく言わなくてもいいじゃないかと自分でも思うのですが、

松室政哉のはなし。

ツアー初日 カルッツかわさき公演にも足を運んでいたので、

彼がスキマスイッチオープニングアクトを務める様子を見るのは2度目。

川崎のときは、ツアー初日だからお客さんもみんなそわそわしていて、

そんなそわそわが彼自身にも少し伝染していたような気がして。

(2階席からだったので、彼の表情など細かいところは見えていないのだけど)

でも、仙台はちょっと会場を見渡す余裕が見られたような気がしたし、

彼が発したある言葉に対して会場から起きた拍手に

「わっ、(仙台の人)やさしい」って、ちょっとほっとしたような、

うれしそうな安堵の言葉を漏らしていたりもしていました。

やっぱり「先輩のステージを借りて歌わせてもらっている」という立場なので、

話のペースとか、内容も良い意味で『よそゆき』というか、控えめだなと

普段のバリバリすぎないけどテンポ感ある関西弁のMCを聞いていると

思っちゃうんだけど、

時と場合に応じて自分の出し方、担うべき役割・ポジションの在り方を

変えられるところも彼の良さだなと思いました。


わたしは、『あの曲』がたくさんの人に聞かれて、

広がっていく様子を見られるのがすごくうれしいです。

仙台は、席の位置的に『あの曲』にたくさんの人が耳を傾けている姿が

客観的に観れてしまったからか、涙が止まらなくて

途中からずっと俯いてしまったわたし。

本当は、一分一秒たりとも逃したくない瞬間なはずなのにね。

この曲を聴くと、あの日、この曲に出会わせてくれた

ある人に感謝しなきゃなと思います。

あの日の思い出は、今も鮮明に覚えているので。

何の曲かわからないように書こうとするとなんのこっちゃ、って話ですね。

このあたりは、ツアーが終わってから存分に語りたいところです。

 

◆「ALGOrhythm」のはなし@仙台

ツアー2本目。

ツアー初日の川崎で抱いていた印象は、

「いつものツアー初日よりも既に熟成している」ということ。

オリジナルアルバムを引っ提げてのツアーは約3年ぶりで、

初日ならではな緊張感はもちろんあったのだけど、

ひさしぶりだからこその気合いの入り方を十分に感じたステージでした。

こりゃ、このツアー回数を重ねるごとに恐ろしさを増していくぞと思っていたら、

2本目にして既に恐ろしさが増していました。笑

『遊びっぽい』というと、いつでも本気な人たちには失礼かもしれないですが、

良い意味で肩の力が抜けた、

オリジナルアルバムを引っ提げてツアーをするという

ルーティーンから抜け出したツアーを経験したことで、

バンドメンバーたちと『音で会話する』という余裕や

同じ間合いをとるということが、「あえてやろう」としなくても

できるようになったのかな、なんてことを感じたりも。

目と目で会話するところ、

目を合わせなくても同じタイミングで同じ音を出せるところ、

誰かがちょっといつもと違うことをしたときに

(いつもって言ってもまだ1回しかやってないけど。笑)

それにすぐ呼応して他の人も新しいことをやってみようとするところ。

音楽をやっている人が、その文字の通り『音を楽しんでいる』さまは、

見ていてとても楽しいです。

そんな楽しい瞬間を、何ひとつ見逃したくないと思ってしまうのだけど、

目も耳もふたつしかないし、記憶できる脳の容量にも限りがあるし、

なかなか全部は見られないのが悲しくもあるところ。

「あの人が今日あそこであんなことしてたよ」っていうのを、

友達たちと終演後に答え合わせをするのも、ツアーの楽しみです。

そんな話をする時間があまりとれない平日公演はちょっと消化不良で

なかなか寝付けなかったりもするのだけど、

仙台ではたくさんそんな話をしたせいかとても気持ちよく眠りにつきました。

(前日からのハードスケジュールのせいもきっとあるけど。苦笑)

 

あんまり話すとネタバレをぽろっと言ってしまいそうなので、このへんで。

とりあえず、怒られなさそうな程度で言うと、

『違い』を楽しめる人になろうと思います。

音も見た目も。笑

 

◆神戸アコフェスのはなし
いろいろなアーティストをつまみ食いしてきたのですが、

ちゃんとフルで聞いたなかで印象に残っている2人の歌い手について

ここでは書いておこうかなと思います。

◎松室政哉(@北野工房のまち)

この人については、そりゃあ書くさ。笑

北野工房のまちは、ここ最近流行っている元学校だった建物を

再活用して商業施設にしているところ。

ここの3Fが講堂になっていて、そこがアコフェスの会場のひとつだったのです。

この日のむろくんのセットリストは

オレンジ
ラブソング。
Jungle Pop
毎秒、君に恋してる
きっと愛は不公平
ハジマリノ鐘

の計6曲。

「ハジマリノ鐘」は、講堂のグランドピアノをお借りして演奏していました。

 

「ラブソング。」を珍しく…というか

わたしが今までに観てきたライブのなかでは初めてじゃないかな。

キーを下げて歌っていて。

「きっと愛は不公平」の転調後も、ちゃんと出てるんだけど

いつもより苦しそうだなぁ、と思って…

やっぱりツアー帯同+移動の疲れもあるのかな。

でも、「きっと愛は不公平」のラスト「これぐらいはいいでしょ」の歌い方が

今まで聞いたのとちょっと違って、そのかすれた感じの声によって

余計切なさ増して聞こえて、

あえてなのか結果的にそう聞こえるようになってしまったのかはわからないけど、

胸をぐっと掴まれました。

(と言ってしまうのは推しの贔屓目になってしまうのかな…)

 

今回来てよかったなぁって思った瞬間は、「Jungle Pop」の演奏を

聴いたときでした。

スキマスイッチのツアーについていくようになってからの

彼の演奏の変化に気がつけたような気がしています。

オープニングアクトやってるときは、時間が短いせいもあって

なかなかむろくんの本当の良さが見えきらないなぁ…というもどかしさも

感じていたりはして。

もちろん、先輩のステージの前に歌わせてもらうのだから、

スタンスとしてはそれが正解なんだと思います。

でもやっぱり、松室政哉が「スキマスイッチの後輩」じゃなく

「松室政哉」として呼ばれてるステージに、

もっと言えばワンマンに彼の音楽はより純度高く、密度高く、

色濃く個性を発揮するんだろうなぁみたいなことを感じていて。

そりゃそうだわ、持ち時間だって違うし

在り方(あるべき佇まい)だって違うし、ってそんなのわかってます。

わかってるけど、フルなものを見ていたら感じるもどかしさは

やっぱりあると思うんですよね。少なくともわたしは感じてしまう。

 

だけど、もちろん彼がステージに出て、先輩のファンたちに

顔を売るんだとか、爪痕を残すんだとか、

そういうのも今回の意図のひとつとしてはあるのかもしれないけど、

それ以上に先輩たちのツアーに対する挑み方とか、

たくさんのお客さんたちに対する表現の仕方とか、

そういうのを吸収して自分のステージに投影する、

表現できるようにする、っていうのも今回意味合いとしては

あるのかなぁってこの日のステージを見て思いました。

まだ川崎、仙台と2公演しか終わってないのに、

いろんな曲のいろんなところで今まで見たことない表情とか

テクニックとか、聞いたことない歌い方とか表現の仕方を見ることができて。

夏フェスにコーラスで参加したときも

「ステージでこれぐらいの表現をしないと客席まで届かないのかと気づいた」

なんて言ってたけれど、今回のツアーでもそれを感じてるのかな、なんて

思ったりもしました。

(直接聞いてないからわたしが勝手に思ってるだけです、あくまでも)

この日の「Jungle Pop」は気迫に溢れていて、

油断すると飲み込まれてしまいそうで、

聞きながら、見ながら何度も自分の心を奮い立たせました。

強い感情のうねりを表現できる人の歌は、

自分を強く持っていないとすぐに飲み込まれて、流されていってしまう。

もうそれでいいや、それでどこまで行けるか見ものだ、と

波に飲み込まれにいく日もあるのだけど、

この日の「Jungle Pop」の気迫は、飲み込まれにいくんじゃなくて、

対峙しなきゃと、そんな風に思える歌でした。

ラスサビ前のカウントの取り方、間奏やアウトロのフェイクやスキャット

先輩のステージを見て感じたことを自分なりの形に昇華させているような気がしました。

まだ2本目でこれなんだから、全36本のツアー全部終わった時にどうなっているのかとても楽しみです。

ちょっと松室さんに男っぽさも感じたステージでした(珍しくね←ひとこと余計)

 

神田莉緒香(@nomadika)

対するこちらは、ものすごく「女性」らしさを感じたりおかちゃんのステージ。

今回の弾き語りツアーに行けないのが悔しくて、

アコフェスに行くのを決めた時から観にいこうと決めていたステージ。

26歳になったばかりの彼女は、25歳のときよりも

ずっとずっとオトナの女性になっていました。

前回見たのが11月のBLITZワンマンだから、

まだ半年ぐらいしか経っていないのに、あの時のアンコールに感じた

ちょっとどきっとするオトナの色っぽさがこの日は随所に感じられて。

これぐらいの歳の女の子って、急に大人びたり、

一瞬にして雰囲気が変わったり、本当にめまぐるしい。

「女の子」から「女性」に変わっていく瞬間。

「走れハリネズミ」だって、かわいくパワフルに歌っていた姿が

印象的だったのに、柔らかでありつつも芯の強い女性になった主人公が

そこにいて。

「愛と叫びたいんだ」と「めぐり」はオトナの女性。

まだ「大人」というほどではないから、

あえて「オトナ」って書いているのですが、

それが「大人」になる日もすぐ来てしまうんじゃないかな。

一瞬一瞬を見逃してはいけない女の子な気がします、神田莉緒香ちゃん。

Gooseのときから知ってたけど、ソロをちゃんと聴くようになったのは

完全に種子田さんやゆうこさんのおかげなんだけど、

儚そうな見た目と裏腹に意外とちゃきちゃきしてるところ、

かわいいところとオトナっぽいところ、

楽しい歌も切ない歌も歌えるところ、その多彩さはどうしても目を惹く存在。

女性シンガーソングライターってわたしなんだかんだあまり聴かないんだけど、

りおかちゃんはこれからもチェックしていきたい存在です。

 

* * *


アツく語ってたら長くなりすぎてしまいました。苦笑
読みづらくてごめんなさいね、というか

最後まで読んでくれてる人はいるのかな…?笑

いたとしたらありがとうございます。

こんな感じにライブの感想もちゃんと書くようにしていきたいな〜。

がんばって時間を作るようにしようと思います。

 

 

 

止まった時計 季節 この静寂に 僕はまた耳を塞いだ

ーきっと愛は不公平/松室政哉

 

忙しさにかまけてここに言葉を書くのを後回しにしがち。

今年こそは、今度こそは、と言いながらまた100日単位で日があいてしまいました。

 

何について書こうかなとか、まとまった言葉を書かないとと思ってしまうから筆不精になってしまうのかもしれない。

さくっと書く理由を見つけられるようにしようと思い、その日に頭のなかに流れた曲の歌詞1フレーズと、その言葉に関連したエピソードについて書くようにしてみようかなと思い立ちました。

どこまで続くかはわかりませんが、一旦やってみようと思います。

 

***

 

ここにまとまった言葉を書いていない間も、仕事でたくさん書いたり読んだりはしていました。

好きなことは相変わらず趣味として書いていて…と言ってもここ最近はおろそかになってしまいがちなのですが、ロキノンの『音楽文』に投稿して、こんなテキストを載せてもらいました。

 

 

今日のタイトルは、まさにこのテキストのなかでも題材にしている『きっと愛は不公平』からとらせてもらいました。

 

わたしは、彼の描く情景が、彼が色鮮やかに切り取る『瞬間』がとても好きで、これは初めてライブを観たときから思っているのだけど、言われなくても頭のなかに映像が流れてくるのです。

 

この曲をライブで聴いて、訳もわからず涙があふれることが何度もあって。

しかも必ずこのフレーズ。

たしかにサビ前の盛り上がるところではあるんだけど、1番じゃなくて2番なのね。

なんでだろうなんでだろう、って考えてみたんだけど、結局は自分の過去と向き合わなきゃいけなくなってしまったのでした。

日本語の表現って難しいなと思うけれど、「逃げたくないけど向き合いたくない」ってことってありませんか?

今まで何度もこういうことはあったけれど、その最上級なある出来事が数年前にあって。

この曲は、そのときの情景が、めまぐるしく変わってしまった景色が蘇るのです。

思い出したくない過去を無理やり引っ張り出されているのではなく、向き合いたいけど向き合う勇気のなかった自分を一気に矢面に立たせてくれたような、そんな気分になります。

 

この件に関しては本当に人間ってひどいなと思ったことがたくさんあって、でもわたしは流行りのブログみたいに誰かをつるし上げたいわけではないからここに記すつもりはありません。

でも忘れちゃだめで、忘れたくなくて、でも無情に時は過ぎ去っていって、そして何よりもう何を言っても帰ってこないという事実と過去に刻んだ思い出だけがここにあって。

 

数少ない思い出が刻まれた季節になると、そのことを思い出します。

それがちょうど今の時期。

桜が咲いたときのはなしと、そのちょっとあとのあたたかくなった時期のはなし。

4月は気候に身体がやられるともよく言うし、「春うつ」なんて言葉も最近はあるらしいけれど、わたしもちょっと感傷的な気分になって、そしてちょっと憂鬱になりがちです。

下なんて向いてちゃいけないんだろうけど、というよりもそういう素振りをしているからそういう気が流れてきてしまうのかもしれないけれど、今もまさにそんな時期で、今までうまくいっていたこともうまくいかなくなってしまったり、ちょっとした言葉に傷ついてしまったりして、だからここに言葉を書きたくなる…と。笑

 

曲についての話に戻りますが、彼は「痛みを分け合えたら。分け合うことがもしかしたら安心とか喜びに変わるんじゃないか」と全国各地で出ていたラジオなどで言っていました。

この言葉にわたしはちょっと救われたような気分になったのです。

別に歌に励まされたり、明るいステージに連れていってほしいとまでは思っていない。

引っ張ってほしいわけじゃなくて、寄り添ってほしい。

わたしの音楽の楽しみ方はそこなのかなと改めて感じました。

 

この時期の夜の静寂は嫌いです。

生ぬるい風がびゅーびゅー吹いて、雨音も少し響いている今。

心まで春の夜風に持っていかれてしまいそうなので、音楽を聴いて気を紛らわせようと思います。