止まった時計 季節 この静寂に 僕はまた耳を塞いだ
ーきっと愛は不公平/松室政哉
忙しさにかまけてここに言葉を書くのを後回しにしがち。
今年こそは、今度こそは、と言いながらまた100日単位で日があいてしまいました。
何について書こうかなとか、まとまった言葉を書かないとと思ってしまうから筆不精になってしまうのかもしれない。
さくっと書く理由を見つけられるようにしようと思い、その日に頭のなかに流れた曲の歌詞1フレーズと、その言葉に関連したエピソードについて書くようにしてみようかなと思い立ちました。
どこまで続くかはわかりませんが、一旦やってみようと思います。
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ここにまとまった言葉を書いていない間も、仕事でたくさん書いたり読んだりはしていました。
好きなことは相変わらず趣味として書いていて…と言ってもここ最近はおろそかになってしまいがちなのですが、ロキノンの『音楽文』に投稿して、こんなテキストを載せてもらいました。
今日のタイトルは、まさにこのテキストのなかでも題材にしている『きっと愛は不公平』からとらせてもらいました。
わたしは、彼の描く情景が、彼が色鮮やかに切り取る『瞬間』がとても好きで、これは初めてライブを観たときから思っているのだけど、言われなくても頭のなかに映像が流れてくるのです。
この曲をライブで聴いて、訳もわからず涙があふれることが何度もあって。
しかも必ずこのフレーズ。
たしかにサビ前の盛り上がるところではあるんだけど、1番じゃなくて2番なのね。
なんでだろうなんでだろう、って考えてみたんだけど、結局は自分の過去と向き合わなきゃいけなくなってしまったのでした。
日本語の表現って難しいなと思うけれど、「逃げたくないけど向き合いたくない」ってことってありませんか?
今まで何度もこういうことはあったけれど、その最上級なある出来事が数年前にあって。
この曲は、そのときの情景が、めまぐるしく変わってしまった景色が蘇るのです。
思い出したくない過去を無理やり引っ張り出されているのではなく、向き合いたいけど向き合う勇気のなかった自分を一気に矢面に立たせてくれたような、そんな気分になります。
この件に関しては本当に人間ってひどいなと思ったことがたくさんあって、でもわたしは流行りのブログみたいに誰かをつるし上げたいわけではないからここに記すつもりはありません。
でも忘れちゃだめで、忘れたくなくて、でも無情に時は過ぎ去っていって、そして何よりもう何を言っても帰ってこないという事実と過去に刻んだ思い出だけがここにあって。
数少ない思い出が刻まれた季節になると、そのことを思い出します。
それがちょうど今の時期。
桜が咲いたときのはなしと、そのちょっとあとのあたたかくなった時期のはなし。
4月は気候に身体がやられるともよく言うし、「春うつ」なんて言葉も最近はあるらしいけれど、わたしもちょっと感傷的な気分になって、そしてちょっと憂鬱になりがちです。
下なんて向いてちゃいけないんだろうけど、というよりもそういう素振りをしているからそういう気が流れてきてしまうのかもしれないけれど、今もまさにそんな時期で、今までうまくいっていたこともうまくいかなくなってしまったり、ちょっとした言葉に傷ついてしまったりして、だからここに言葉を書きたくなる…と。笑
曲についての話に戻りますが、彼は「痛みを分け合えたら。分け合うことがもしかしたら安心とか喜びに変わるんじゃないか」と全国各地で出ていたラジオなどで言っていました。
この言葉にわたしはちょっと救われたような気分になったのです。
別に歌に励まされたり、明るいステージに連れていってほしいとまでは思っていない。
引っ張ってほしいわけじゃなくて、寄り添ってほしい。
わたしの音楽の楽しみ方はそこなのかなと改めて感じました。
この時期の夜の静寂は嫌いです。
生ぬるい風がびゅーびゅー吹いて、雨音も少し響いている今。
心まで春の夜風に持っていかれてしまいそうなので、音楽を聴いて気を紛らわせようと思います。