TOUR SUKIMASWITCHを振り返る:僕と傘と日曜日
日替わり2曲(Special公演では1曲)を挟んだあとの曲はこの曲。
『僕と傘と日曜日』。
音源の段階ですでに本人たちが「泣ける曲を」ということで作ったこともあり、
目の前に情景が浮かんでくるような、叙情的世界観なこの楽曲。
アルバムを聴いたときにツアーでどう調理されるのが楽しみだったのですが…
いやー、予想以上だった。
本数を重ねるにつれて、どんどん化けていっていた。
そのあとの福岡振替公演も、Special武道館でもすごかったけど、
沖縄の演奏の熱量が、あのときのチームスキマの表情が、演奏が、
いまも目に焼き付いて離れない。
箇条書きで印象的だったポイントと感想
- 全体的なところでいうとバンドの演奏の熱量。ぱっと聴いた感じどちらかというとこのアルバムのなかでは『静』よりな曲かなと思うけれど、前半戦のピークとなる楽曲、演奏だった。ひとりひとりがすごくて、綿密に音が絡み合ってものすごいグルーヴが生まれていた。このバンドで聴けてよかった、と思った。
- しんたさんが俯いたまま前奏の和音を弾き始めて、バンドメンバーたちが入ると同時にステージが少し明るくなって、後ろのモニターの映像が映り出すという演出の流れ。映像についての感想は後述。
- 1番はどちらかというと淡々と。1サビで少し盛り上がって、そのまま2番へとつながり、2番は徐々に昂る感情がむき出しになっていって、2サビ終わりの間奏、ラスサビ…と強くなる雨あしと自身の心から溢れ出る感情を音で再現していた演奏が印象的。
- アニキのハイハットの音が良いアクセントになっていたなあ。たまに入るシンバルの音も。
- この曲は石成さんのギターの音がどう入ってくるかで世界が違って見えた曲。自分がどの位置で聴いているか、もだいぶ左右しているのだろうな、と思いつつも石成さんの波紋が広がるように会場全体に広がっていくギターの音がその日その日で違って、いろんな『僕と傘と日曜日』を見せてくれたように感じた。
- 石成さんの叙情的なギターの音にずっしり乗っかる種子田さんのベース。この曲はAメロBメロではアレンジを入れたりはせず、一定のリズムを刻んでいたからこそ、どんなに悲しく切ないことがあっても生きている限り一定のリズムを刻み続ける心臓の音とリンクして、切なさが増す。そんな風に感じられた。「あっけなく砕け散っていった」「君が考えた台詞」のあとのサビに入る前のふたりの音の絡み合い、大好きだった。そこに入るまっちゃんが叩くシンバルの音も。
- 1サビ手前までは淡々と歌っていたのにサビから徐々に溢れ出るボーカル大橋卓弥の感情の渦。CDでもすごいビブラートなのに、それ以上のビブラートかけて身体全体から絞り出せる全ての声を出すように歌うものだから、たまにハラハラするときもあった。でも彼のその歌声、歌う表情にいつも鳥肌たちっぱなしだったな。
- 1サビで感情をさらけ出し始めながらも「信じ切ってたあの日」ではちょっと弱々しく、この曲の主人公自身の無力感に肩を落としているような歌い方をしていたところも、胸を締め付けられる要素のひとつだなと思っていた。
- 「優しい声で言ってた」のあとと、「「忙しいのはいいことだね」って」のあとの音のキメ。すぱっとキマったときの気持ちよさと、しんたさんがちらっとアニキをみる優しい表情が好きだった。
- 2Bメロの「君が考えた台詞」の後ろで唸る種子田さんのベースの音。ネックをちょっと持ち上げて、たまに歯をくいしばっていた姿がとても印象的だった。
- 「どれもに君の香り」の直後にまっちゃんがウインドチャイムを鳴らしてからすごい勢いでコンガのほうにくるっと飛んでいく様子。ふっとぶんじゃないかなって思うぐらいの勢いで圧倒されてた、いつも。
- ラスサビ前の間奏は、昂る感情の舵きりをしていたのは種子田さんだなあ、って思ってみていた。種子田さんが1フレーズ弾くたびに、感情の(音の)波が行って返って、どんどん大きくなって。その溢れ出る感情を一瞬卓弥さんが手で押さえるんだけど、手から放った瞬間に洪水のようにとめどなく溢れ出していく。そしてラスサビへ。この流れに涙が流れない日なんてなかった。
- ラスサビの卓弥さんの「頬を伝う雫と」「声にならない声」のところのジェスチャー、好きだった。
- ラスサビはしんたさんの演奏が本当に心を鷲掴みにしてきて。「なんて呼べば」って卓弥さんが歌っている裏でぽーんと耳に入ってくる高音、からの「僕は救われるだろう」って卓弥さんが歌ってから手のひらでどしゃーんとぶちまける荒々しい感情。そのあとの泣き叫ぶように天を仰ぐ表情。切ないんだけどかっこよくて、いつも呆然と立ち尽くしながら見ていた。
- 「さよならの言葉 本当の意味は」の「本当の意味は」のところのじゃーんじゃーんじゃーん♪ってバンドのメンバーの音が一斉にこの3つの音に集まっていく感じ。そこから卓弥さんが「一人で探すから」って無力そうに歌う姿がたまらなく切なかった。
- さいごの浦さんのシンセの音が切なさにさらなる余韻を加えていたと思う。この音の余韻がしんたさんの手で押さえられるときまでまったく拍手が起き上がらないとき、このわずかな音の波がこの曲の寂しさ、切なさ、やるせなさ全てをもって水たまりのなかに佇んでいるような、そんな主人公の絵を見せてくれているような気がした。
この曲には映像演出が後ろのモニターで繰り広げられていて、
割と歌詞に忠実な実写の映像がスライドのように流れていて。
あまりにも歌詞に忠実だとちょっと映像が目障りというか、慣れるまでは
そちらに目がいきすぎてしまって、いい表情をして演奏しているメンバーたちが
見れないな、って思ったりもしていたのだけど、ツアーも回数を重ねるにつれて
この映像にも変化があらわれていることに気付いて。
もしかしたらわたしの思い過ごしなのかもしれないけれど、ツアー中盤戦
ぐらいまでは割と毎回カットが差し替わっていたような気がした。
春が近づくにつれて、梅の花?桜の花?のカットが増えていたような…。
真意を、知りたいところです。笑
生音で映像同期させるって大変だよなあ、きっと。ってこの曲聴きながら
思ってた。入りの映像が出てくるタイミングがその日によって微妙に違ったり
したから、スイッチャーさんが全部手動でカット切り替えてたのかな。
すごいなあ。手が込んでるなあ、と思ったのでした…。
余談ですが、今回のツアーは「日曜の街、雨」が多かったように感じた。
この曲のせい?そんな演出いらないよ!なんてよく友達たちと話していたのを
よく覚えています…。笑
どうでもいいはなしでした。