Murmur...

アラサーといいたくないけど徐々に30の扉が見えてきている女子が好きな音楽を中心にまとまった言葉を語りたいときに語る場所。

秦基博 LIVE AT YOKOHAMA STUDIUMを観て気付けたこと。

2017年5月4日。

秦基博 LIVE AT YOKOHAMA STUDIUMを観に、横浜スタジアムへ行った。

ゴールデンウィークももう終盤に差し掛かっているけれども、

このライブで感じたことがどうしても忘れられなくて、

きっとこのままだと2017年に観た(これから観る)ライブのなかでも

かなり印象的なライブとしてわたしの心のなかに

刻まれるような気がしたので、記しておこうと思ってひさしぶりにPCの前に向かった。

※あくまで個人的な感情・想いも含まれた記事になると思うので、ご理解いただけると幸いです。

 

まずは、セットリストを備忘録変わりに記しておこうと思う。

2017.05.04 秦基博 LIVE AT YOKOHAMA STUDIUM セットリスト

<第1部>

1. 今日もきっと

2.SEA

3.キミ、メグル、ボク

4.Girl

5.虹が消えた日

6.水彩の月

7.プール

8.青

9.Halation

10.花咲きポプラ

11.スミレ

12.スプリングハズカム

13.言ノ葉

14.水無月

 

<第2部>

1.アイ

2.シンクロ

3.Sally

4.嘘

5.未発表曲(Panasonic CMソング)

6.Dear Mr.Tomorrow

7.風景

8.グッバイ・アイザック

9.Q&A

10.透明だった世界

11.朝が来る前に

12.ひまわりの約束

13.鱗

 

<アンコール>

1.月に向かって打て

2.70億のピース

 

このセットリストを見たときに、人それぞれ、感じることは違うのかもしれない。

わたしは、この10年、気が付けば秦基博の楽曲がそばにいたんだなということに気付かされた。

いや、気付くのが遅すぎたぐらいかもしれない。

なんでこの日まで気が付かなかったのか、自分でも意味がわからないんだけど、

多分、彼の楽曲があまりにも生活のなかに溶け込みすぎていて、寄り添ってくれていることにさえ気が付かないぐらい自然と隣にいたからなのかな。

そんな風に思ったりもした。

 

 

わたしが秦基博の音楽と出会ったのは、2007年のオーガスタキャンプ。

あの日、『鱗』を聴いたときの鳥肌のたちっぷりったら笑ってしまうほどで、スガシカオ先輩が呼び込んだ大雨・雷雨の思い出とともに、とても印象に残っている。

当時のわたしは、大学に入学して数カ月経ったころ。

第一志望の大学に入れたわけでもないし、なのに片道2時間半もかけて通っていて、そのせいでいろんなことがうまくいかなくて、まさに「いろんな言い訳で着飾って 仕方ないと笑っていた」ころだった。

オーガスタキャンプで彼の歌を聴いたその瞬間は、声のすごさに驚き震えたけれど、潜在的にはこの楽曲自体の歌詞にも惹かれていたんだと思う。

オーガスタキャンプから数カ月後にリリースされた『コントラスト』をすぐに買って、何度も何度も聴いていた。

「鱗のように 身にまとったものは捨てて」

そんな風になりたいな、なんて思いながら。

 

そこから、自分自身のことでいっぱいいっぱいで、少し彼の音楽と距離を置いた時期も1年ほどあったけれど、新たな作品が生まれるたびに、リアルタイムでそれを手にとり、自分のプレイリストのなかに加えていっていた。

ほぼ10年もそんなことをしていたから、生活の一部となっていた。

秦基博の音楽を聴いている」ということに、何の疑いももたず、当たり前のようにすぐそばに彼の楽曲がいた。

いや、むしろ「いる」ということを意識すらしていなかった。

 

* 

 

そんなわたしは、流れたときの長さに実感をもてぬまま、横浜スタジアムに来てしまった。

「秦さん、10周年なのかあ」

2016年のオーガスタキャンプでもお祝いしたはずなのに、いまいち実感がわかぬままライブが始まってしまった。

 

でも、ステージに出てきた秦基博を見ていたら、特に2016年のオーガスタキャンプで浜端ヨウヘイと松室政哉と歌っていた『虹が消えた日』を彼がひとりで歌っている姿を見たら、10年という時をしっかりと踏みしめ歩んでいたことを痛感させられた。

秦基博の10年の歴史のなかでは比較的初期にあたるこの曲。

この曲を受け止める側のわたし、何も変わってないような気がして、なんだか少し切なさを覚えた。

『プール』、『青』。比較的初期のころの曲を歌う今の秦基博を見ていても、そんなことを感じてしまった。

 

水無月』を合唱して第1部が終わった時点ではまだ、秦基博の本当のすごさに気付けていなかったと思う。

日が傾き、風も出てきて少し寒くなってきた横浜の空。

この時はまだ、「第1部がGREEN MINDで、第2部でバンドのほうが寒くてもあったまるのになあ」なんて思っていた。

そのことばが頭のなかに浮かんでいたことに、第2部が始まった瞬間から後悔した。

秦基博の本当のすごさを見せつけられたのは、ここからだったから。

 

第2部序盤で、メジャーへの第一歩を踏み出したデビュー曲『シンクロ』を、このタイミングであえてボサノヴァ調にアレンジしてきたこと。

ちょっと意外だったけれど、ここに第2部の指針が示されていたのではないかと今となっては思う。

ループマシンを使った『嘘』で見せたダークサイドな秦基博

『グッバイ・アイザック』『Q&A』『透明だった世界』と、第1部でバンドでやっていてもおかしくないナンバーを、ひとりでステージで見せつける姿。

きっと、ギター1本と自分の声を使って勝負する秦基博の印象が強い人からしたら、意外な姿だったのではないかと思うが、弾き語りで10年勝負してきたからこそ、見せることができる新たな一面なのではないかと私は感じた。

淡々とループマシンに音を、リズムを刻み、その場で楽曲を生み出していく様。

GREEN MINDを続けてひとりで演奏することを極めてきた彼が行き着いた新境地は、なんだかとても奥が深くて、『嘘』のアウトロでとても熱を帯びているのに黙々と、淡々とバスタムを叩く彼の姿に、私はなんだかぞくっとした。

 

そんな新しい一面を見せながらも、第2部の一発目に『アイ』をもってきたり、第2部を『ひまわりの約束』からの『鱗』で締めたりと、アニバーサリーだからこそ外せない部分は外さない。そんなところに、彼のやさしさを感じた。

とはいえ、休憩時間明けのまだお客さんが客席に戻りきっていないところで『アイ』をやるあたりに彼のSっ気というか、自信を感じたけれども。笑

 

 

…なんて、数日経ったからこそ、こうやってライブの感想を語れるのだけど、当日の私の心はぐらぐらと揺れていた。

個人的には、『Dear Mr.Tomorrow』と、『ひまわりの約束』で溢れ出る感情が抑えきれなくて、嗚咽を堪えるのに精一杯だった。

この2曲、「秦基博の曲で好きな曲は?」って聞かれても、今までに自分の頭のなかには出てきたことのない曲だったし、『ひまわりの約束』は特に、ドラえもん効果によるロングヒットのこともあってか、メディアで触れる機会が多すぎて、自分であえて聞くということは、正直なところあまりしていない曲だった。

なのになんで?と思いながらも、「だからこそ」こうなってしまったのかもしれないと今となっては思う。

 

私はこの日の『Dear Mr.Tomorrow』で、自分自身が心の奥深くで考えていたことに気付かされてしまったし、『ひまわりの約束』で、秦基博の楽曲が自分でも気付かないぐらい生活の一部に、人生の一部として存在していたのだなということに気付くことができた。

彼の歌は、頭で聞く歌ではなく、直接心に語りかけてくる。

彼がステージにひとりで立ち、歌う様は、自然体なようで彼自身の芯の強さを歴然とあらわしている。

彼がひとりでステージに立つ姿を見慣れすぎてしまっていて、それが当たり前になっていて、私はそんな彼の強さを見抜けていなかったらしい。

…というか、「見抜く」ということすらしようと思わないぐらい、彼がそこにいることが「日常」となってしまっていたのかもしれない。

10周年の集大成となるライブを観るまで、そんなことに気が付けないなんて、私は愚かだなと思った。

そして、今さらながら気付いた、自分の心の片隅にいた、彼の音楽にすがりついていた自分の姿に気付いてしまい、彼と彼の音楽の強さに、そして自分の弱さにただただ涙が止まらなかった。

秦基博の紡ぐ言葉を、秦基博が生み出す音楽を、こんなにも大切に思っていた自分をもっと大事にしよう。そう思った。

 

 

そんな自分のなかでの彼の大きさに気付いたあとのアンコールでの「月に向かって打て」を歌う秦基博の姿。

なんだかかわいらしく見えてしまった。笑

「本当は野球選手になってここに来るはずだったんだけど」と笑いながら言っていた彼。

横浜スタジアムにたどり着いたときの姿は、あの日思い描いていた姿とは違ったかもしれないけれど、25000人に感動を、笑顔を与えられる今のあなたは、間違いなく誰かにとってのヒーローなんじゃないかなと思った。

最後に歌った「70億のピース」で観客が灯した光を見て、彼は何を思っただろう。

あの日灯された光の数だけ、いや、あの日の空に輝いていた星の数ほど数多くの人に秦基博の歌は届いているし、そしてこれからもさらに届いていくのでしょう。

10周年という節目をひとつ迎えた秦基博がこの日の横浜スタジアムで見せてくれた『過去』と『現在』と『未来』。

『未来』のさらなる先に何が待っているのか、わくわくしながら、自分自身も前に進もうと思った。