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アラサーといいたくないけど徐々に30の扉が見えてきている女子が好きな音楽を中心にまとまった言葉を語りたいときに語る場所。

藤木直人とL⇔R黒沢健一さんのはなし~原点回帰tourを終えて、思ったこと

藤木直人2年ぶりのツアー、Naohito Fujiki Live tour ver11.1~原点回帰 k.k.w.d tour~が終了しました。

ツアーが終わるとありがちな、ネタバレ解禁と同時にいろいろと語りたくなるやつです。笑

印象的だったエピソードを、ちょっと時間ができたときにぽつぽつと、忘れないようにメモしていけたらなあ、と思います。

 

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藤木直人から語る、L⇔R黒沢健一さんのはなし」

 

今回のツアー、セットリストの中盤に『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』と『グッド・オールド・サマー・デイズ』が入っていました。

アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』は多くの人も知っているでしょう、L⇔Rの名曲を藤木直人が2004年にリリースしたミニアルバム『夏歌ウ者ハ冬泣ク』でカバーした曲。

そして『グッド・オールド・サマー・デイズ』は、黒沢健一さんがこのアルバムのために書き下ろしてくれた楽曲です。

 

『アイネ・クライネ~』は割とここ最近ライブツアーをやるってなるとよく入ってきていた、『定番』といってもいいぐらいな曲。

今回のツアーは、ちょっとファンクっぽさもあるアレンジにしていて、これまたかっこよかったのでした。

 

この曲でひとしきり盛り上がったあとに、MCで直人さんは毎回、L⇔R黒沢健一さんへの哀悼の意を述べていました。

わたしが今回のツアーで足を運んだのは、大阪1日目と豊洲2days、そしてファイナルの横浜2days。

毎回毎回、ちょっとずつニュアンスは違ったけれど、こんなことを述べていました。

僕はデビューしてからしばらくは寺岡呼人さんにプロデュースをしてもらっていて。

そのあとはシライシ紗トリさんにプロデュースしてもらって、って割とずっと同じ人にプロデュースをお願いしていたんだけど、2004年に『夏歌ウ者ハ冬泣ク』ってミニアルバムをリリースするときに、今回は今までと違った感じで、他のアーティストの方にもプロデュースをお願いしようってなって。

そのときに、何組か自分の好きなアーティストの方、やってみたいアーティストの方の名前を挙げさせてもらって、そのなかにL⇔R黒沢健一さんもいて。

L⇔Rの曲はずっと好きだったし、いい曲たくさんあるから好きな曲もたくさんあったんだけど、『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』の黒沢さん独特な世界観が特に好きで。

「カバーさせてもらえませんか」ってお願いしたら快諾してくれて。

それだけでもうれしかったんだけど、さらにこのアルバムに曲まで書き下ろしてくれて。

当時の思い出を、言葉を選びながらもしみじみと振り返りつつも

そんな黒沢さんが、去年の10月に病と闘っているというニュースが出て。

僕もびっくりして。そうしたら、その2ヶ月後ぐらい…12月5日にお亡くなりになって。

もちろん命に優劣なんてないんだけど、才能のある人が、まだ48歳…そんなに若くして亡くなってしまうなんて。ってすごく悔しくて。

僕ともそんなに歳も変わらないし、すごくいろんな気持ちになって。

でも、本当に素敵な曲をたくさん作っていた方だから、きっと黒沢さんがいなくなってしまっても、L⇔Rの曲たちはこれからもずっとたくさんの人に愛されていくんだと思うし、僕もこうやってカバーさせてもらったからには、黒沢さんの魂を継いで、これからもこの曲を歌い続けていきたいなと思いました。

話しぶりと表情から、彼の黒沢さんへの想いと悔しさ、悲しさ、いろんな気持ちが伝わってきました。

 

大阪1日目には、こんな話もしてました。

今回、『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』を歌うって決めて、改めて歌詞を見返していて、ふと「この曲を黒沢さんはどういうことを書いて思ったんだろう」って気になって。

洋楽だと曲についての考察とかが、本とかネットとかに載ってたりするから、そういうのあったりしないのかなと思っていろいろ探してみたんだけど見つからなかった。

でも、その情報を探してたときに「『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』を藤木直人がカバーしてる」って文字が目に入ってきて。

俺じゃん、って思って。

ここから先を見るかどうか一瞬悩んだよね…。笑

でも「意外とよかった」って書かれていてほっとしました…。笑

と、最後は安定のちょっぴり自虐ネタにもっていって笑いに変えてしまっていたけれど、今回のツアーで、黒沢さんのことを想いながら歌うにあたって、黒沢さんがこの曲で何を表現していたのか、調べたりもしていたようです。

真面目な彼らしいな、と思いました。

 

あっという間に曲の世界観に飲み込まれ、身体を揺らすことができる『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』と、ちょっとAORっぽい(…と言っていいのかしら、わたしあまりジャンルをピンポイントで述べることができないんだけども)ナンバーな『グッド・オールド・サマー・デイズ』。

それぞれベクトルは違うけれど、ライブ会場の空気をあたためるにはとてもぴったりな素敵なナンバー。

『グッド・オールド・サマー・デイズ』を聴くと、わたしは富士急ハイランドコニファーフォレストでのライブ、ver5.1を思い出します。

突き抜けるような夏の青い空を見ると、わたしはこの曲をつい口ずさんでしまうことが多々あります。

確実に、黒沢さんがつくったサウンド、そしてこの曲に込めた魂は、わたしのなかにずっとずっと、生き続けていくのだと思います。

わたしだけじゃなく、この曲を知っている人、藤木直人のファンの人、そして藤木直人自身にも。

そんなことを、この曲を聴きながら、演奏する彼とバンドメンバーを見ながら、感じていました。

 

『グッド・オールド・サマー・デイズ』が終わったあと、彼は毎回毎回、とても深く頭を下げていました。

ステージが暗転してからもしばらくずっと。

横浜1日目は運よく2列目でライブを観たのですが、曲が終わってお辞儀をする瞬間に唇をきゅっと結んで頭を下げ、暗転してからもだいぶ長いこと頭を下げたままでした。

ファイナルの横浜2日目は、アウトロの坂さんの鍵盤を聞きながら、そして自分もアコースティックギターを奏でながら、会場の天井のほうを見つめ、キリっとした表情を浮かべていました。

その表情を見て、わたしは蜷川幸雄さんが亡くなったあとに行われた舞台『尺には尺を』のカーテンコールでの彼の顔を思い出したのです。

あのときと、同じ顔をしているような気がして。

だから、もしかしたら、黒沢さんに向けて何かを伝えていたのかもしれないな、なんて思ったのでした。真意はわからないけどね。

 

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わたしにも、藤木直人はもちろん、ほかにも好きなアーティストがいます。

その人たちが新しい楽曲を生み出してくれるのが、そしてその楽曲たちと一緒に人生を歩んでいけるのが、生活の片隅にその人たちの曲があるのが、わたしが幸せだなと感じる瞬間のひとつでもあります。

活動休止とか、解散とか、そういうことで新しい音楽が生まれなくなってしまうこともあるかもしれないけれど、『音楽家』として生きている人は、その道からフェードアウトしない限りは、何かしらの形で音楽でその人の生きざまを伝え続けてくれているような気がします。少なくとも、命がある限りは。

 

それが止まってしまうのが…不意の出来事だと「止められてしまう」と言ったほうが正しいのかもしれないな、と思ったりもするのだけど…『死』なのかな、と感じました。

動いてる姿が見れない、歌っている姿が見れない、そういう悲しみはもちろんあるんだけど、それ以上にきっと、時を経てじわりじわりと悲しみが襲ってくるのが、「新しい楽曲と出会えない」ということなのかもしれない、とも。

いつかは来てしまうのかもしれないけれど、自分の好きな人たちにも、人間として生きている以上はいつか来てしまうその瞬間。

どうやったってうまく向き合えないし、想像しただけで悲しくなってしまう。

 

 

わたしは、『夏歌ウ者ハ冬泣ク』で藤木直人が『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』をカバーしたことで、L⇔Rを知りました。

(テレビなどでリアルタイムで流れていたときは、微妙に物心がついていなかった頃でした。そんな世代です)

この頃のわたしは、彼が寺岡呼人さんの曲をカバーしてたら呼人さんの楽曲を掘りにいき、BOΦWYが好きだって聞いたらBOΦWYを聞いてみたり、そんな傾倒の仕方をしていました。

だから、もちろんその流れでL⇔Rも自分のプレイヤーのプレイリストのなかに入るようになったのでした。

なのでわたしも、ファンの人と比べたら本当に足元にも及ばないけれど、2016年10月のニュースには衝撃を受けたし、12月の訃報には心をかき乱されたのです。

ニュースを見た日はずっと、L⇔Rを聞いていました。

そのあとも度々、黒沢さんのサウンドが聴きたくなって、L⇔Rの曲や、先述の藤木直人の曲を聴いています。

 

こうやってひとりでも多くの人が「忘れないこと」が、「忘れたくない」と思う人がいることが、黒沢健一さんのすごさなのだなとも思いました。というか、今も思っています。

 

だから、直人さんにはこれからも『アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック』と『グッド・オールド・サマー・デイズ』を、毎回両方を歌うのはツアーの頻度とボリューム的には難しいかもしれないけれど、どちらかは歌い続けていってほしいなと思いました。

そしてそれを見て、黒沢さんが喜んでくれていたらうれしいな、なんて思ったりもしたのでした。